先日八尾のプリズムホールで開催された
竹田恒泰氏「古事記と三種の神器を語る」講演会に行ってきました。
「古事記」と言っても堅苦しくなく、分かり易くとてもユーモアたっぷりに語られました。
私がはじめに印象に残ったのが三種の神器のお話。
ご存知の方も多いと思いますが、三種の神器とは「剣・鏡・玉」のことで、
日本神話でアマテラスオオミカミが国の統治をするため
孫のニニギノミコトを天孫降臨させた際、天照大御神から贈られた物です。
今でも天皇が代々皇位のしるしとして受け継いでいる三つの宝物で、
この三種の神器がないと、天皇が継承されないと言われるほど大切なものです。
本物の草薙剣は熱田神宮に、八咫鏡は伊勢神宮に神体として奉斎され、
八尺瓊勾玉は御所の天皇寝室の隣にある「剣璽(けんじ)の間」に大切に安置され、
継承の際は、皇居に安置されている箱に入った勾玉と形代(かたしろ)と呼ばれる本物の代わりの草薙剣と八咫鏡の三種の神器が
皇位継承と共に継承されます。
しかし、三種の神器自体見ることを許されず皇族ら誰も天皇陛下でさえも実見されていないのだそうです。
昔熱田神宮の宮司さんや神主さんたちが、草薙剣をこっそり見ようとし、宮司さんたちは次々と病気で亡くなったのだとか。
それ以来畏れられ一切誰も見ることは無くなったそうです。
勾玉は、勾玉の入った箱を振って、だいたいこぶし大、赤ちゃんの頭位の大きさだろうと予測されているようです。
また八咫鏡は、天照大御神が天岩戸に隠れた時、アマテラスを出そうと隙間から鏡を入れた際付いた小さな傷が
伊勢神宮に祀られている八咫鏡にもあるのだとか。
大正天皇即位の際、東京の御所と京都の御所の間を、八咫鏡を輸送するためだけに製造された車両があったそうです。
八咫鏡ひとつを輸送するための車両…すごいですねー。
偶然にも三種の神器…ではないですが、「剣・鏡・玉(石)」を当店にまとめて置いています。
もちろん意図的ではなく形も全く違いますが、すごい偶然だな~と。
天皇陛下のお話です。
歴代天皇が、京都御所に1100年ほど居住されましたが、一度も命を狙われたことがなかったそうです。
京都御所はお堀もなければ、警備もいない。
竹田氏曰く、命を狙おうと思えば紙ふたつ(障子とふすま)を破れば高校生でもできることと。
それでも、天皇の命だけは誰一人と狙わなかったのだそうです。
それだけ昔から尊い存在なんですねー。
第2次世界大戦の終戦直後、昭和天皇がアメリカの軍人、連合国軍最高司令官マッカーサーと会談した際の
昭和天皇のお言葉。
「日本国天皇はこの私であります。
戦争に関する一切の責任はこの私にあります。
私の命においてすべてが行なわれました限り、日本にはただ一人の戦犯もおりません。
絞首刑はもちろんのこと、いかなる極刑に処されても、いつでも応ずるだけの覚悟があります。」
とマッカーサーに申し出たそうです。
マッカーサーは、天皇が命乞いをするかと思いきや、自分の命と引き換えに国民を救おうとした勇敢なお姿に
驚き感激し、玄関まで見送り、
「この日本の元首に対する占領軍の司令官としての私の尊敬の念はその後ますます高まるばかりだった」
と感想を述べたそうです。
今私たちが日本で平和に過ごせていられるのも、
命をかけて責任を取ろうとされた昭和天皇のおかげかもしれません。
公では報じられていませんが、今でも天皇陛下は朝晩絶やすことなく
日本国の安泰、日本国民の幸福を祈っていらっしゃるそうです。
歴代に続く天皇のご慈愛深さに感謝すると共に、日本国民で良かったとつくづく思いました。
今北朝鮮が度々ミサイル発射するなど危機感が高まっています。
平和と幸福を願う天皇陛下がどれだけお心痛められていられるかと思うと胸が締め付けられる思いです。
何事もないことを願ってやみません。
余談ですが、たまたま私たちは京都御所前の神社で昭和天皇の誕生日4月29日に神前挙式をしました。
だいぶ前のことで忘れていましたが、公演中ハッと思い出し感慨深いものがありました。
笑いと感動に包まれた本当に素敵な講演会でした。